2006-08-07

「民衆史を学ぶということ」 佐々木 潤之介 2006.4.吉川弘文館  2,300円

著者の遺作となった「江戸時代論」、同時進行的に編纂されたこの論集は、講演録・紀要類・雑誌・新聞・自治体史などに発表されたもの。「近世の国家と天皇/近世社会の展開と民衆/近世の技術と科学/現代と歴史学」の四部構成。この中で著者は近世から現代に至るまでの民衆史を学ぶという事はどういうことかと 苦い味を飲み込みながら語っている。

 柳田国男が常民といい、宮本常一が庶民とよんだ民衆の歴史は天皇の存在を抜きにしてはかんがえられないこと。天皇でも天皇制でもなくこの「天皇の存在」という概念こそが民衆史を学ぶ基礎にあるという。武士階級の出現も明治維新も 天皇・朝廷の権威からの自立を果たさなかった故に、「われら」という血縁社会からうまれた身分差別(われらではない人たちへの差別)を存続させた。敗戦から新しい民主主義国家となった時も この概念を保持することによって戦勝国の占領統治が円滑に運んだのは記憶に新しい。

 1970年代半ばから歴史学の捉え方が変わったという。常民・庶民・民衆の歴史を社会史として見直そうという潮流だという。流れが変わったなかで育った年代には、当たり前のように読み飛ばしてきた「民衆史」をもう一度ふりかえってみるきっかけになる著書であると思う。

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