2006-08-07

「ヒトの全体像を求めて・21世紀ヒト学の課題」        川田順造編 2006.5. 藤原書店

大貫良夫・尾本恵市・川田順造・佐原真・西田利貞。
 Anthropoloby Prehistory Ethnology, APEの会 それにプラス Primatologyで「新APEの会」を始めようではないか!と川田氏は口火を切る。
 生年月日を見て欲しい。殆ど同期である。敗戦の日に十代初め、戦後の混乱期と飢餓の記憶を持ち、学問の爆発を目の当たりにしている。知のネットワークの「感電するばかりの喜び」を吸収し共有している。

 この方達の著作に出会ったのはもう25年以上前になるか。特に編者の川田順造氏の「無文字社会の口頭伝承・歴史伝承、モシ王国からの報告」は人の根源的な文化というもののあり方を考える上で衝撃的な程の出会いであった。一連の著作の延長上にあるのがこの本。
 若い研究者の若い発想。私の意識の中では ずっとそう感じていたが、今 あらためて考えると七十代 の決して若くは無い年になられているのに驚く。なお持続している若さにまた驚く。総合科学としての博物学の再生を 異口同音に語っている。
 私の一番初めに知った博物学者はドリトル先生だし、総合科学の重要性を書いた本はSFの「宇宙船ビーグル号」だった。銀河系のかなたの星で 専門の学者が分析しきれないモノを解くのが 日ごろ何の為に乗船しているのかと揶揄されていた「総合科学者」だ。面白い本だった。

 2005年3月、尾本・西田・大貫・川田の諸氏が、差別と暴力の問題、自然のなかの人間の位置づけの問題などに対する問題提起の後で討論に入る。討論は、1.現代世界における人類学/2.自然の一部としてのヒト/3.現代以後のヒト学はどうあるべきか/まとめは各人から「新しい始まりへ向けて」。

尾本恵市 33年生まれ、分子人類学:遺伝人類学より分子人類学。自然人類学と文化人類学との乖離。カタカナで書くヒトという特別のかただか20万年の歴史しかない特別な単一種。霊長類学は動物学である。ヒトの進化の鍵はネオテニー。区別distinctionすること、科学の原点。偏見prejudice、文化の能力が本来持っている性質、価値判断。価値判断に由来する個人的好き嫌い。
差別discriminationは特定の社会または公人としての個人が人間の価値判断に関する偏見を公に認め、または法律等に反映させること。DNAは差別の対象にはならない。単なる情報。これを差別するのが文化である。

西田利貞 41年生まれ、霊長類学:集団間暴力の起源。霊長類では、基本的にはチンパンジーとヒトだけが縄張りの外に出て他の縄張りの中に入って行き、攻撃する。ヒトは完全に組織された戦いをし、集団で同盟する。また双方とも基本はメスの移動(嫁入り)。チンパンジーは自分の出自集団との関係をひきずらないから、同盟関係を結ぶのが困難なのか。また ヒトは集団遊びをする。

大貫良夫 37年生まれ、先史学・文化人類学:人間の普遍的な特徴は、文化人類学でいう文化の定義。言語の重要性、二重文節言語を駆使。身体の外側に適応の種々な手段を作った。技術であり、それの発達である。論理体系で解釈し納得する基本的性格。幅の広い雑食性からくる繁殖力。発情期の喪失。
 今、アンデスの先住民はジャガイモを栽培し食している。では ジャガイモ文化か?かつてインカ帝国が繁栄していた谷間の素晴らしい場所にはインディオはいない。全部追い出され、スペイン人が」興味を示さない急斜面の寒い高い所で村を作り生活している。そこで出来る作物はジャガイモしかない。

川田順造 34年生まれ、文化人類学:集権的国家成立の基盤は人による人の支配。儀礼的戦争から変質した徹底的破壊の戦争。常備軍の誕生。チンパンジーやたの動物の持つ攻撃性とは本質的に異なる。ヨーロッパ型の技術文化が近代化の原点。人間非依存性。日本の場合は人間依存性、簡単な道具を人間の巧みさで使いこなす。アフリカの場合は状況依存。価値観とか狩猟環境に対する意識が西洋タイプの技術文化に譲った。野蛮人savage(同一平面上の地理的違い)から未開人primitive(「遅れたもの」として、時間的な前後関係)へとの認識の変化。

佐原真 32年生まれ、考古学:「国立民俗博物館は、考古学と歴史、関連諸学の総合の学をめざしています。もう細かく分かれているだけではとてもだめで、やはり総合しなければ全体像が見えて来ません。」カヴァー裏表紙より  (氏は2002年逝去さる。)
1997年6月の鼎談「総合の『学』をめざして」にのみ参加。 出席者:尾本・川田・佐原

 環境問題が限界にきている現代のヒト学は どう考えていけばいいのか。
ヒトの進化における文化の淘汰圧。自然史の一部としてのヒト学。総合人間学としてのヒト学・「DNAから人権まで」とまとめにある。

 そして川田氏は続けて 「いま我々が勝手に熱弁を振るい、あとを次の世代に託したつもりでいても、十年前からいままで若い世代に強い共感も反発も無かったように、これからも無反応のまま、私達の感じているヒトの危機は進行しつずけるのではないかのか あるいは、ヒトの感受性自体が変わって、危機とすら感じない状態で、グローバル化、情報化、紛争、暴力、殺人、地球破壊が進む中で、それなりのヒト」の生き方を享楽する時代になるのであろうか」と

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