2008-08-01

「アフリカ 苦悩する大地」 ロバート・ゲスト '08.5. 東洋経済新聞社 2200円

確かに、著者ロバート・ゲスト氏の主張しているように、発電や通信のシステムをメンテナンスを含めた丸抱えの状態で、利権を売却した方が効率的なのかもしてない。20~40億ドルあれば小・中学校の校舎や病院、道路の整備も可能だと他のアフリカの国の例を引いて説明している。子供たちは安心して義務教育を受けられ、適切な病院へも速やかに通えるだろう。そんな論調が目に付いてくると疑問の方も大きくなってくる。

 発電所や電話局などの管理が出きない国が大金を適切に使うことができるのか、と。アフリカの独立した多くの国々では旧宗主国から受け取った状態よりは遥かに国の財産は目減りしているし、国民の生活水準も下がっているのが現実だ。

 「コンゴ・ジャーニー」でレドモンド・オハンロン氏を案内したマルセラン氏(政府の役人)はこんな風に著者に嘆く。「イギリスではあなたは何人ぐらい面倒をみているのか。私は200人ぐらいそんな人間がいる。自分と妻の姉妹・兄弟、両親たち、両親の二番目や三番目の妻や夫もいる。両親の兄弟・姉妹。その全部に責任がある。あなたたちがワイロと呼ぶものも受け取る。そんな事をせずに正義を貫けと? 相手はどう思うか?「もっと高価な贈り物をしたヤツがいたのだ」と。結局のところ、権力の高みになればなるほど与える地位は高くなり、見返りも多くなる。外国からの援助金・援助物資で贅沢も出来る。ジェット機をチャーターしてヨーロッパに買い物に出かける高官夫人もいるという。何十億ドルがあっても同じ、パイが大きくなるだけ。

 この親族主義がなくならない限り、「公平」とか「正義」は存在できない。地下資源の貧しい国では搾取するに足る富もないので、選挙も公正に行われるし、政治も円滑に回るのは皮肉なことだ。

 旧宗主国が統治し易いように部族間の対立を利用したり、そそのかしたりした結果が泥沼の内乱、そして名ばかりの独立。そんな国の一つが今話題のジンバブエだ。一億ジンバブエドルの束が両手に抱えきれないほどあっても、小さなコッペパンが二個買えるだけという。平価の切り下げと新しい紙幣の印刷。中央銀行の頭取?のコメントは「これで買い物の時にも楽になる」だ。
 日本の新聞やTVの報道では、ジンバブエ政府は白人の大農場を没収して、貧しい現地人に分け与えた。現地人は農業の仕方も知らないという状態だったので農園はたちまち荒廃し、やがて作物が獲れなくなった。アフリカでも有数の農業国であるにも関わらず、国民は飢餓に苦しんでいる。世界中から来る援助物資も途中で消えてしまう。これが今の日本の情報なのだ。
 この本によれば、利権を現地の法人にあたえたのと同じく、分け与えられた農民は貧しくも無いし、農民でもない親族主義によって選ばれた人たちだったという。そんな目から鱗的な事実も記載されている。

だが、半ばあたりで著者がこんな風に書いている。“例えば、同じ程度の農業技術があるアフリカとイギリスが農業を営んでも無意味なこと。双方の一日当たりの労働賃金を比べれば、アフリカが農業をし、イギリスは保険業務のような仕事をするのが効率的だ”。これが著者の本音かもしれない。
 外国の資本(白人の)に利権を高く売却し、農業にいそしめば飢えずにすむ、そうではないか、と。