2008-09-19

「狂気の核武装大国アメリカ」 H.カルディコット 集英社 08.7. 740円

「第八章 湾岸とコソボの核戦争」から
“ウラン兵器の歴史” 「1950年代、国防総省は、兵器製造にウラン238を使うことに興味をいだいた。70万トン以上のウラン238が、核兵器や原子力発電の副産物として、アメリカ全土に貯蔵されていた。それは無料だが、なんの用途もない危険物だった。やがて、この元素の用途が考え出された。

 ウランは鉛より1.7倍も比重が高い。したがって、金属製の装甲を貫通する弾丸として、はなはだしく効果的だ。たとえば、120ミリの戦車砲弾は、4.5キロの個体ウランを含むが、高速ならば、戦車の装甲を熱いナイフでバターを突き刺すように貫通する。(国防総省はウラン砲弾やウラン銃弾を、「核付着型」と呼んでいる。そんなものではない。砲弾は固体のウランそのものでできている。ウランは、やはり医学的には危険かもしれ                                                                                                                       ない極秘扱いの他の元素との合金にされている)。
 ウランはまた、戦車の装甲に使用できる。通常兵器による貫通を防げるからだ。
 ウランは比重が高く、巡航ミサイルや航空機のおもりとして使用できる。

 アメリカは、ウラン兵器の実験を54年にロスアラモス国立研究所近くの秘密の場所で開始した。60~70年代に、アメリカ各地で研究と実験が続けられ、78年に最初の実用ウラン弾が生産された。そして最初に実戦使用されたのが、91年『砂漠の嵐』作戦の戦闘だった。......中略
 
 ウラン235のエネルギー値が非常に高いため、兵器に用いられる劣化ウラン238の放射能は、天然ウランの半分だ。それにもかかわらづ、ウラン238が人間や動物の体内に入って、排出されづ取り込まれてしまった場合、放射能は危険なものとなりうる。
 ウラン238の兵器は、さらに危険だ。なぜならそれは、(ケンタッキー州)パドゥーカで作られたプルトニウム239(アルファ線を出し、半減期は二万四千四百年)といった同位体で汚染されているからだ。
 アメリカ軍は劣化ウランの放射能が天然ウランより弱いことを強調する。しかし、ウラン238は純化された100%ノ「ウランだ。地中にあって、土によって、放射線の地上への放射が防げられているようなウラン鉱石とは異なる。劣化ウランと天然ウラン鉱との比較は、リンゴとオレンジを比較するようなもので、適切ではない。」

続けて“ウラン加工の医学的危機”ではより具体的に記述される。要約する。
「天然ウラン鉱の採掘に始まり、破砕、濃縮、燃料製造、核分裂、再処理、放射性廃棄物の貯蔵に至る、いわゆる核燃料サイクルのなかで、ウラン加工には数十万人が携わる。この労働者たちは、体内に放射性物質を吸入、吸収する危険にさらされている。ウラン鉱山の労働者が、肺癌やその他のガンを発症する危険が著しく高いことは、カナダ、ドイツ、ナミビア、チェコ、フランス、ロシア、アメリカの事例で明らかにされている。 ウランの破砕や加工工場の労働者や近隣住民もガンの危険にさらされる。
 (この後、記述は詳細な数字を揚げる説明に入る。)
 ウラン兵器の射撃場では永遠に放射能はなくならないし、軍需品工場からでるウラン廃棄物が被覆工事のされていない竪穴に山積されていたりすれば地下水に漏れ出し汚染は途方も無い広がりになる。

「砂漠の嵐」作戦では、300~800トンの半減期45億年ノ「ウラン238が、イラク、クウェイト、サウジアラビアの戦場にまたがって散乱した。使用済み砲弾・銃弾という固体のまま、粉末状、微粒子となって分散、など「さまざまな状態で。もちろん、回収される予定はない。
この作戦の間に用いられたアメリカの戦車2054台のうち654台、すなわち三分の一が、戦術的優位性をあたえてくれるウラン製装甲板を装備していた。通常のイラク軍兵器はウラン製装甲板を打ち抜くことはできないからだ。しかし、アメリカの戦車乗組員は、ウランせい装甲板が発する、X線と似た高濃度のガンマ線に被爆した。

“放射線の外部被爆・内部被爆” 「劣化ウラン弾から放射されるガンマ線は、一時間で200ミリラドになる。これは普通の人が一年間に自然界で受ける放射線量よりも多い。」このことを踏まえて次の文章を読む。
「もしある人がウラン弾を拾い上げてポケットに入れ、10時間入れたままにしておけば、その人は2.7ラドというかなり高い放射線量のガンマ線を吸収することになる。それなのに、空になった砲弾で遊んでいる子供がいる。自分の家に飾ろうと弾丸の破片を集める人がいる。危険性を知らずに、放射能をもつ砲弾をお土産に持ち帰った兵士もいる。
 また、影響を受けた地域の水は非常に危険だ。水に溶けたウランは、食物連鎖に従って濃縮され、それぞれの段階で数千倍の濃度になって、ミルクー人間の母乳も含むーに入り込む。(ウランには、味も臭いもなく、見分けはつかない)子供や乳幼児は、放射線の発ガン効果では、大人より10倍~20倍も感受性が高い。
 湾岸のウラン汚染地域には、これからもずっと放射能が残り、住民は、ほぼ永遠に、ガンや先天性奇形の危険にさらされる。霧状に「なった不溶性の微小な非金属固体粒子である二酸化ウランは、兵士と民間人、大人と子供の区別無く、周辺住民の肺に吸入される。そして放射能をもつ水は、食料を汚染する。
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 核爆弾という定義はあれからずっと次のように定義されていた。キノコ雲と黒い雨。今、新しい核爆弾が登場した。放射能の汚染という意味では同じだが、もっと怖ろしいと思う。見かけは普通の爆弾と同じ殺傷能力をもっている。戦車や装甲車のような「機具」も見かけは同じだ。だが、直接、目に見える被害とは別に、その残骸や舞い上がる砂埃、空気中の微細な塵に「生物」の遺伝子に影響を与える放射能が含まれているのだ。その土地に足を踏み入れた人間はなべて平等にその負の恩恵を受け取る。家畜・農作物・水も。他に遺伝子に影響を与える化学兵器がある。何世代も何世代もその影響は継続する。

 撤去されていない残存地雷やクラスター爆弾は怖ろしい、だが、一世代限定の悲劇で終わる。この発言は不謹慎だろうか。いずれは劣化ウランを利用した地雷やクラスター爆弾が登場するのだろう。「ヒト」が絶滅する原因をせっせと自らが作り出しているとしか考えられない。レミングの神話は主人公を替えて存続している。

 イラクの瓦礫の間をガイガー探知器をもって歩く日本人の医学者の映像が紹介された。針が吹っ切れるほどの数値の意味を理解しようとしないマシンガンを持つ米軍兵士。笑っている。傍で子供たちが遊んでいる。ある程度の年齢の日本人にとってこの音は、まっすぐキノク雲を意味しているのだ。遥かな洋上での実験のあとの雨には放射能があるとして濡れるのを恐れた子供達がいた。日本はそんな国だったのだ。
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著者紹介:1938年オーストラリアに生まれる。’77年に渡米し、ハーバード大学医学部小児科専任講     師に就任。’80年以降、様々な反核運動に参画する。
     翻訳著書:「核文明の恐怖ー原発と核兵器」 岩波現代選書
          「劣化ウラン弾ー湾岸戦争で何がおこなわれたか」 日本評論社

2008-08-01

「アフリカ 苦悩する大地」 ロバート・ゲスト '08.5. 東洋経済新聞社 2200円

確かに、著者ロバート・ゲスト氏の主張しているように、発電や通信のシステムをメンテナンスを含めた丸抱えの状態で、利権を売却した方が効率的なのかもしてない。20~40億ドルあれば小・中学校の校舎や病院、道路の整備も可能だと他のアフリカの国の例を引いて説明している。子供たちは安心して義務教育を受けられ、適切な病院へも速やかに通えるだろう。そんな論調が目に付いてくると疑問の方も大きくなってくる。

 発電所や電話局などの管理が出きない国が大金を適切に使うことができるのか、と。アフリカの独立した多くの国々では旧宗主国から受け取った状態よりは遥かに国の財産は目減りしているし、国民の生活水準も下がっているのが現実だ。

 「コンゴ・ジャーニー」でレドモンド・オハンロン氏を案内したマルセラン氏(政府の役人)はこんな風に著者に嘆く。「イギリスではあなたは何人ぐらい面倒をみているのか。私は200人ぐらいそんな人間がいる。自分と妻の姉妹・兄弟、両親たち、両親の二番目や三番目の妻や夫もいる。両親の兄弟・姉妹。その全部に責任がある。あなたたちがワイロと呼ぶものも受け取る。そんな事をせずに正義を貫けと? 相手はどう思うか?「もっと高価な贈り物をしたヤツがいたのだ」と。結局のところ、権力の高みになればなるほど与える地位は高くなり、見返りも多くなる。外国からの援助金・援助物資で贅沢も出来る。ジェット機をチャーターしてヨーロッパに買い物に出かける高官夫人もいるという。何十億ドルがあっても同じ、パイが大きくなるだけ。

 この親族主義がなくならない限り、「公平」とか「正義」は存在できない。地下資源の貧しい国では搾取するに足る富もないので、選挙も公正に行われるし、政治も円滑に回るのは皮肉なことだ。

 旧宗主国が統治し易いように部族間の対立を利用したり、そそのかしたりした結果が泥沼の内乱、そして名ばかりの独立。そんな国の一つが今話題のジンバブエだ。一億ジンバブエドルの束が両手に抱えきれないほどあっても、小さなコッペパンが二個買えるだけという。平価の切り下げと新しい紙幣の印刷。中央銀行の頭取?のコメントは「これで買い物の時にも楽になる」だ。
 日本の新聞やTVの報道では、ジンバブエ政府は白人の大農場を没収して、貧しい現地人に分け与えた。現地人は農業の仕方も知らないという状態だったので農園はたちまち荒廃し、やがて作物が獲れなくなった。アフリカでも有数の農業国であるにも関わらず、国民は飢餓に苦しんでいる。世界中から来る援助物資も途中で消えてしまう。これが今の日本の情報なのだ。
 この本によれば、利権を現地の法人にあたえたのと同じく、分け与えられた農民は貧しくも無いし、農民でもない親族主義によって選ばれた人たちだったという。そんな目から鱗的な事実も記載されている。

だが、半ばあたりで著者がこんな風に書いている。“例えば、同じ程度の農業技術があるアフリカとイギリスが農業を営んでも無意味なこと。双方の一日当たりの労働賃金を比べれば、アフリカが農業をし、イギリスは保険業務のような仕事をするのが効率的だ”。これが著者の本音かもしれない。
 外国の資本(白人の)に利権を高く売却し、農業にいそしめば飢えずにすむ、そうではないか、と。