2007-01-23

「土一揆と城の戦国を行く」 藤木 久志 2006.10. 朝日新聞社 1,365円

 「飢餓と戦争の戦国を行く」が刊行されたのが2001年、それから「戦国の村を行く」「雑兵たちの戦場」「戦国の作法」と続いたいわば「戦国シリーズ」の最新刊である。いままで出た中から八篇を選び、また新しく掘り起こされた古文書の解釈、安田喜憲氏らの環境考古学や古気候学などを採り入れての著書である。
 ここで言う戦国とは15世紀半ばから16世紀末までのおよそ150年間を言う。そして雑兵は、脛当てに粗末な胴丸、槍になまくらな刀を差し、背中に小さな旗指物を担ぐ。戦が終わった時に地べたに累々と残されていて、けっして武具を剥ぎ取られる対象にはならない。

 著者が丹念に多種多様の古文書から抜き出した災害や疫病の年表には、毎年どこかで長雨・旱魃・疫病などが起きている。もちろん兵乱も。これは一地方のとか 日本のとかの問題ではなく、全世界的な規模の天変地異の時代で、この間(1300~1850)地球は小氷河期に入っている。特に、1350年前後、1500年を挟む100年間、1650年からの70年間は「夏の来なかった時代」とも言われている程だ。

 飢饉になれば百姓・村人は食料のある土地へ流れていった。山野を食い尽くした流民たちが一極集中的に都、あるいはその地方の都市へと押し寄せて、二次飢饉を起こした。これを「流入型飢饉」という。また近隣の村々を襲い食料を強奪したりもした。大名領主は百姓の離反=欠落・退転を抑えるために蔵の貯蔵穀物を放出し、兵を率いて隣の領地へ押し出したりもする。戦乱では乱妨(略奪)・狼藉・乱取・苅田などが勝手とされたのが戦いの作法で、洋の東西を問わず それが兵士・雑兵への報酬なのだ。戦場を遠巻きにして眺めている者もいる。関が原の戦いの時などは京大阪あたりから弁当持参での見物衆がいたと記されている。この見物衆がある一瞬から落ち武者狩りの衆になる。

 天下統一がなされるまで百姓と雑兵とは表裏一体の意味を持っていたと言えよう。土地の豪族の下に、集落や兄弟などでまとまって参集し雑兵として戦いにでる。勝ち戦であれば、食料はもとより落武者の甲冑などの武具や奴隷も手に入った。足軽という身分は平時には百姓なのだ。こうして武器や武具を所有し、まとまった数で戦に出るようになると発言力もついてくる。百姓侘言(要求・要望)だ。領主に納める税の率や遠方の戦地への長期の陣夫動員負担の拒否や、徳政の強要など聞き入れられなければ村を捨てるぞと脅す。現に何年も戻らなかった例もあったそうだ。武器をもって領主に対抗し、要求を突きつける、百姓中心であれば土一揆で、信仰でまとまったのは一向一揆である。やがて、特定の領主には就かずに雑兵たちを束ねるいわば「足軽大将」のような者まで出てくる。凄腕の傭兵集団で、川並衆を束ねていた蜂須賀小六などがそれの代表であろう。

 飢饉には天災からくるものと、人災からくるものとがあった。人災とは戦乱である。押し出してきた軍勢は、「麦秋の調儀」とか「稲薙ぎ」とか呼ばれる「作荒らし」の戦法を取る。隣国からの飢饉の気配で百姓達は作付けの工夫をしたり、未熟でも稲や麦の穂を刈ったり、家財物を担って山城や領主の城に逃げ込む。村人単独で山城を持つことも珍しいことではないと古文書のいくつかに見られると言う。不運にも城が落ちた時には、周辺の村々の荒廃をさけるために、城に避難していた民たちは「家財物」とともに解放され帰郷を許された。

 大名領主の力が増すとともに、足軽大将たちも収斂し家の子郎党としての地位を確立してくる。そして、天下統一。信長・秀吉・家康等が苦慮したのは、百姓たちの持つ力=武器をいかに排除するかであった。信長は治外法権とも言うべき勢力を根絶やしにすることに心血を注いだ。地ならしが出来た状態で登場した秀吉は、「刀狩」と「山城停止令」・「一国一城令」を実行した。大名同士の争いを禁止し、支配を嫌って逃げ込む山城を廃止、百姓の武器を持つことを禁止した。
「刀狩」の意味はこれだ。別の言葉で表現すれば「一揆禁止令」なのだ。

 「刀狩」を理解するためには、戦国の雑兵たちの作法を理解しなければならない。雑兵・一揆・刀狩とが、私の中で、やっと一つに繋がった。


参考図書:黒田弘子「ミミヲキリハナヲソギ・・・片仮名百姓申状論」
     吉田豊彦「雑兵物語」、
     保坂智「百姓一揆とその作法」などがある。

2007-01-09

「ブラック・アトランティック~近代性と二重意識」  ポール・ギルロイ 2006.9. 月曜社 3,200円

 一言でいえば、非常に読みにくい。物理的にだが...
536頁で、厚さ4.5cm高さ19cm幅13cm。杉浦日向子さんがいみじくも名づけたように「弁当箱」なのだ。紙質が悪い。まるで薄手の画用紙のようだ。手にとって読むにも、机の上に広げて読むにも勝手が悪い。500頁ならせいぜい3cmになる筈だろう。

 巻末に「訳者解説」がかなりな分量占めているが、そこでも原著の読みにくさ・理解の難しさを書いている。その通りで非常に読みにくい。日本語に訳された漢字のルビにカタカナ語が使われている。それも半ば日本語化したカタカナ語ではなく、原著で使用された言葉そのままの読みをカタカナで表記している。例を挙げる。黒人文学:ブラック・リテラチュア、霊歌:スピリチュア、混血:ムラー、導き手:リーダー、人間主義:ヒューマニズム、黒人性:ラックネス.....こういう処理の仕方が一頁の中に2,3個から15,6個はある。(以下イタリック部分はルビを表す)
 確かに著者の言い表す言葉の意味と翻訳された日本語とでは感触が違うだろう。だからといって安易に原語の読みをルビにするのはどうかと思う。むしろ ブラック・イングリッシュ:イングランド黒人、ブラック・ブリテッシュ:英国黒人、アジェンダ:議案 ではなかろうか...

 一つの文章がかなり長い。3行以上もあり、主語がどこから来るのか分からなくなるほどだ。原文が長いからといって訳文も忠実に長いままで示す必要があるのか。訳者の力量不足ではないか。ルビの問題といい、この冗舌さといい、日本語の文章まで原書と同じに読みにくく理解し難くしなくてもよかろうほどに。

 もう一つの難点は、著者の挙げている人名だ。人名を具体的に挙げ、その論点を解析しているのだが、文脈からすると黒人:ブラック・ピープル らしい。我々から見ると普通の西洋人(欧米人)の名前なのだ。それらの人々‐知識人・研究者‐の主張するところは、膚の色とあいまって重要になっているのだが、それが分からない。殆どが始めて目にする名前だし、日本に紹介されてもいない。翻訳され出版されたとしても極く一部の研究者が知っている程度だろう。ブラック・ピープルの主張はそれ自体の内容と共に「人種」がまた別の主張をしているらしい。ここに最初の高い越えがたいハードルがある。
 この場合のブラック・ピープルとはアフリカに住む人びとではなく、言うまでも無く、西洋に移り住んで教育を受けた人びとのことだ。著者自身、父は英国人で、母はガイヤナからの移民だそうな。そういう背景をもった著者が、アフリカン・アメリカンに主導され独占された形の「黒人問題」を大西洋の両側の問題として捉え、元の宗主国と植民地という関係から来る複雑性に焦点を当てている。確かに、現在イギリス・フランス・オランダ・ゲルギー・ドイツなどでの人種問題が度々報道されているが、著者の述べるようなブラック・ピープルの二重意識として捉えたことはなかった。

 目次には 一章:近代性の対抗文化としてのブラック・アトランテック
       二章:主人、女主人、奴隷、そして近代のアンチノミー
       三章:「奴隷の時代からのたからもの」
          ブラック・ミュージックと真性性の政治学
       四章:「疲れた旅人を励まそう」 W.E.B.デュボイス、ドイツ、
          そして(非)位置取り/(転)地の政治学
       五章:「お慰みの涙なしに」 リチャード・ライト、フランス、
          そしてコミュニティの両義性アンビヴァレンス 
       六章:「伝えられるような話ではなかった」
          生きた記憶と奴隷の崇高

 第一章から:西洋の黒人、特に英国のブラック・イングリッシュとして「ヨーロッパ人植民地の反省的な文化と意識、そして、植民者たちに奴隷化されたアフリカ人たちや、虐殺された“インディアンたち”、そして売買されたアジア人たちの反省的な文化と意識がその蛮行のもっともひどい状況にあっても互いに付け入る隙もなく閉じているわけではない、ということの湾曲な表現とさして代わらないように見えるとすれば、たしかにそうであるかもしれない。.....」

「.....この歴史的連結関係とは、感覚し、生産し、コミュニケートしあい、記憶する構造のなかで離散した黒人たちが創出し、しかし、もはや黒人たちだけが占有しているわけではない立体音響的ステレオフォニク で二重言語的バイリンガル で二重の焦点をもった文化の形式のことである。この構造のことを、私はさらなる発見のためにブラック・アトランティック(黒い大西洋)世界と呼んだのだ。」

「黒人を行為主体エージェント として、つまり知的な能力をそなえ、ひとつの知の歴史すらもっている‐近代の人種主義によって、黒人には否定されている諸属性であるが‐人々として認めようとする苦闘にこそ、わたしがこの本を書く第一の理由がある。」

「人種の格付け+分類は、黒人の非人間ないし非市民としてそこから排除されているナショナルなアイデンティティをめぐる人種排外的な考え方に由来し、またこの」考え方を称賛している。」

 なかなか一筋縄ではいかない文章だとわかっていただけただろうか。