2006-08-07

「熱帯アジアの森の民・資源利用の環境人類学」   池谷 和信 人文書院 2005.6. 2,400円

民博の共同研究の成果、報告書である。

 ...変わりつつある熱帯アジアの森の民の実像とそれへ向けられる一般社会からのまなざしを環境人類学の視点から総合的に把握することを目的...と 「はじめに」書かれている。ここで言う森の民とは、大きく分けて 狩猟採集民と焼畑耕作民とに分かれる。太古の昔 ヒトは皆 森の民であった。それから少し開けた水のある土地を利用することを覚え モノを所有する文化を生み出してきた。

 つい最近まで 森の民と外部社会との接点は 森の民の側の意思で成立していた。炭水化物としての食料や金属の道具と交換するために 狩の獲物(野生動物の肉・香木・藤蔓...)を定住する民に提供してきた。貨幣経済が進み近代化が開発という形で森を分断し始めると森の民の意思などお構いなく接触せざるを得なくなる。同化・定住化促進のために「改宗」した者に物質的な援助をする。記録上「改宗」「定住」している民が多く見られるという。中には生活の手段として秘境観光客のために伝統的扮装をし伝統的(原始的)生活を再現してみせる者も出てきている。勿論かれらの日常は「普通」である。

 熱帯雨林の森林資源で暮らしている森の民は、自然保護区の数や面積の拡大している今、「環境保全の妨げ」とみなされて移動させられているのも現実であるという。近年盛んに議論されている「焼畑」による森林の減少のことを書いておきたい。本来焼畑は数家族の人間が暮らしていく為の食料を得るために 周期的に決まった森を焼き・耕作することを意味してきた。絶えず森を焼き払い移動しているのではない。森林資源の伐採・木材の切り出しには大型トラックの出入りできる道路が付随し、産業の振興という目的で火を放ち焼き払った土地に 大規模な単一植物の農園(ゴム・コーヒーなど)が出来、利益が伴わなくなると即時撤退、あとには荒廃した地面がのこる。これはアマゾンでもアフリカでも同じである。森の民は周辺の「外部社会」に吸収されつつある。先住民としての森の民は木材産業やダム開発にどう対応するか、カナダやオーストラリアの先住民組織に倣って NGOが関与する運動が行われ始めている。

 熱帯雨林を再生させるには途方も無い時間がかかる。下生えも含めての再生は最低500年は懸かると言う。これは植物だけの話であり、小動物や昆虫達が戻ってくる保証はどこにもない。

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