2006-08-07

「裏社会の日本史」 フィリップ・ポンス 安永愛訳 2006.3. 筑摩書房 ¥4,300

 まず、訳者である安永氏の取り組み方に敬意を表したい。随分と生意気な言葉遣いではあるが、他に表現する言葉を知らない。訳者あとがきに「差別の重い現実をも見据える内容を日本語にする心理的な葛藤をなかなか克服できないでいた。」とある。固有名詞の表記確定・事実確認の作業などを正確に行うためのチームと共に、原注を含めて400頁になんなんとする大著の翻訳を流れるような日本語に置き換えている。

 著者はフランス人で30年以上 ル・モンド誌の日本特派員として多忙な記者活動の傍ら日本に関する著述を多数著している。この著書でも分かるように氏の「知的咀嚼力」は広範囲にわたる。歴史学・文化人類学・哲学・文学などの膨大な書物の読解を基本にやくざの親分へのインタビューやドヤ街への潜入ルポなど、分析力の確かさとジャーナリストとしての姿勢がうかがわれる。

 第一章は、中世における周縁民から始めている。穢れと差別・漂泊と差別の考察、良民と賎民との選別と統制。大きな変化は明治維新と前(さき)の敗戦であると筆者は主張する。明治新政府は戸籍をもたなかった被差別民や博徒・テキヤなど非農業民で移動を伴う職業に携わる人々、彼らに戸籍を与えて新平民とした時点で差別はより巧妙な形で存続することとなっていった。被差別民の開放は、特定の職業の独占権をなくしたが、職に付くことの平等に移行したわけではなかった。

 日本の研究者が使用するのを躊躇している言葉、被差別民を呼ぶ言葉や特定の地名が出てくる。
日本人は「人権」を考える立場から「えた・ひにん」などを使用禁止語に指定した。みなし・見立ての文化である。その言葉を使わないことで差別も偏見も無いことにしよう、というのが暗黙の了解であり、安永氏の「心理的な葛藤」を知らず知らずのうちに抱いてしまう。
 ただ気になるのは、貧窮民=下層民であり被差別民であるという記述が随所に見られる。「“えた・ひにん”は根強い偏見の犠牲者であり、その後も更に社会の低層へと落ち込み、彼らのゲットーは村落からの赤貧の移住者でふくれあがり、やがて近代都市の下層を構成することになるのである。」又は「明治になり、仕事をもとめて都市に流入した人々は下層プロレタリアートを構成し、其の中でも最も恵まれない人々が自ずと貧窮地区、すなはち被差別地区にあつまった。被差別民と同一視され、差別意識は拡大された。」

 ヤクザ・テキヤ・暴力団・ドヤ街については一般向け(素人好み)の面白可笑しく書かれたものが多い。専門の研究者も被差別民については「.....昔は...」という段階で留まっている。被差別民について発言できるのは、既に歴史に組み込まれたと解釈される時代に於いてだけである。 人権擁護・差別禁止というお題目には逆らえない。地名でも敗戦ですら穏やかな名前に呼び換える。そうする事で自己の正当性を主張してきたのだと、私は考える。

 横山源之助「日本之下層社会」・松原岩五郎「最暗黒の東京」・紀田順一郎「東京の下層社会」などの潜入ルポを継ぐ書だ。現代の寄場である山谷・寿町・釜が崎などのドヤ街は、西洋でのゲットーでもスラムでもない。どんずまりの街であり住まうのは単身者の男達が殆どで、そこには家族とか家庭は存在しない。その次の段階はホームレスで「青天井の老人ホーム」になる。ここが終着点。

 圧倒的な気迫で迫ってくるのは、敗戦後の混乱期にみられた権威(占領軍・官僚)と暴力団・テキヤとの図式だ。これらに見られる日本の総括的記述は現代までつながっていく。目の覚めるようなとでも言おうか。アメリカ占領軍司令部から日本の政界・金融・行政・司法と見事なまでに出来上がったテキヤ・暴力団との癒着構図。権力と結びついた結果、市民権を得て合法的な存在までに成長し進化してきた暴力団の素顔。1992年、暴力団対策法が大規模な暴力団を押さえ込んだ結果、軛が無く「粗暴な」外国人を招来してしまった。こんなところで合点がいっては堪らないと思うほど合理的で明解な文章だ。この敗戦の混乱期から「今」までの怒涛のような記述は 社会の空気にどっぷりと浸かっている日本人ではないから 書けるのかもしれない。

 特に印象的な分析は、アメリカ占領軍が理解に苦しんだとされる“親分・子分の関係”である。「この関係は社会関係のメカニズムとしてどのような社会にもさまざまな次元で存在していたし、また現在も存在している。日本に於いてこのような関係の図式の起源は非常に古く、政治家の派閥・家元制度・大家と店子(ひいては天皇と臣民)にも及んでいる。」 頂点の親分から末端の子分にいたる共通認識あるいは同質性、結局は「日本の“単一民族的”社会の同質性なるものが西洋において公理の如く見なされているのみならず、日本においても、さらに深い意味において、明治以来、有力なイデオロギーとなっている。それが当時、国家創生の壮大なる神話を持ち出し、またそれを再生産し、“富国強兵”を推し進めるべく明治期に着手された“伝統という発明”の所産である。」
 引用が長くなったが、これは「天皇ではなくて “天皇の存在”という概念」が維新期の発展に必要だったとする佐々木 潤之介氏の論旨の別の表現ではないか。

 「やくざやマフィアの文化を母胎とする組織的システムは自分達のものである周りの社会環境において見出さなければ“水の中の魚”のように存続していくことは出来ない。.....やくざやマフィアの基層文化はそれを取り巻く社会や文化の形態に似通っているものであり、また その極端な形となっているように思われる。」

 日本史の固有名詞の比定に苦労されたとあったが、原著ではどんな表記になっていたのであろうか。たとえば、品部・雜戸など。「界隈」という言葉が頻繁に見られたが これはどんな言葉に当てはめたのだろうか。

 とにかく しんどい一冊であった!

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