2006-11-10

「レッドパージ・ハリウッド」 上島 春彦 2006.7.    作品社 3,800円

 私が始めて自分の小遣いで映画を見たのは1951年作「探偵物語」であった。渋谷東急名画座。授業の終わった後だったから四時ごろからの上映だったろう。館内は空いていたけれど、なんだか許されていない場所に潜り込んだような気がして、一番後ろの席でみた。その後では自信も付いてきてしばしば映画をみた。地下にはニュース映画だけの館もあり、そこは10円で、名画座は60円、まもなく75円に値上げされた。そのころは封切館は日比谷で,二番館といっていた新宿・渋谷になるとほとんど2本立て、その次の近所の小さな映画館では3本立てで、どこも満員で座れるのは一巡した後でやっとという時代。

 1938年、非米活動調査委員会(HUAC)が設立された。この委員会は演劇人団体を召喚して“左翼的”と非難している。だが一方で真珠湾攻撃の年には左翼主導による「脚本家戦時動員組織」も発足し、1942年には戦時情報局(OWI)が設立され、リベラル派の拠点になった。大戦が終わってすぐの1946年には“鉄のカーテン”で隔たれた冷戦が始まった。翌47年にはHUACによる映画人の喚問が開始された。ブラックリスト体制が公然化し、ハリウッドテンの業界追放がはじまった。1951年、映画人喚問が再開し、いわゆる「密告・ネーミング ネームズ」の時代がきた。「ブラックリストへの反対者は即、共産主義者の陰謀に加担する者としてブラックリストにのせる。」そして業界追放。公民権に関する嘆願書に署名?追放だ。アクターズ・スタジオ?この俳優集団は爆竹花火のように赤い連中だ。どいつを追放しようか。

 この、戦後アメリカにおける極端に排他的・全体主義的でヒステリックな反共産主義を一般的にマッカーシズムと呼ぶ。ただし、上院議員J.R.マッカーシーが活躍したのは50年代初頭の数年間であったが、そのずっと前からのマッカーシー主義的政治委員会がHUACなのだ。反ニューディール主義、反リベラル、反ユダヤ主義、人種差別主義などで、一言でいえば極右だ。
 映画産業から始まったブラックリスト作りはやがてTV産業、新聞、ラジオ、教育施設さらに公務員、公社職員へと爆発的に広まっていった。映画制作者協会は「自分が共産党員ではないことを公に誓約するまでは誰も再雇用しない」と宣言した。マスメディアの発展と共にいよいよヒステリックになっていく。

 奥平康弘氏はその著書「表現の自由を求めて」で次のように書いている。「マッカーシズムとは何であったのだろうか。これはワシントン政府ー合衆国議会・大統領府・国務省・司法省などーがとったさまざまな種類の権力装置を頂点に、諸州・地方公共団体の多種多様な同調的な類似政策を含む。そしてそれは、たとえばもっとも典型的には、学問の府である大学その他研究機関内部の人事のありように響き、同じ動きが法曹界その他の自由職業分野に及び、果ては、鉛管工・医療関係者などの職場に波及し、さらに社会保険受給者の需給資格を脅かす、といったありさまであったのである。つまりマッカーシズムは公私の区別を越え、社会の風潮、ひとびとの思想・信条の中身にまで食い込む態のものであった。」 2006年に封切りの「Good night and Good Luck」(アカデミー監督賞?作品賞?最優秀賞?を受賞した。なんとも皮肉なこと。)に詳しい。

 50年代はTV時代の幕開けだ。勿論、TV局内には思想傾向取締り機関が元FBI職員の天下り先として設置されていた。映画業界から追放された脚本家たちは変名を使い、またフロントと呼ばれる表の実在人物の名前を借りて、仕事をしていた。50年代はまた黒人主導による人種差別撤廃運動が高まり、55年にキング牧師による人種差別バスのボイコットが始まっている。それにリベラルであることはもはや左翼的ではなくなってきていた。59年、アカデミー賞の規約から「ブラックリスティ排除」の項目が消えた。ブラックリスティたちの活動を無視することが困難になって来たからでもあった。

 「探偵物語」51年、監督はウィリアム・ワイラー、脚本はブラックリスター。主演のカーク・ダグラスはバート・ランカスターと並んでブラックリスターの脚本家に理解があったという。助演の女優リー・グラントは批評家協会賞をとりオスカーにノミネートされ、カンヌでは最優秀女優賞までもらったが、ブラックリスターの葬儀でHUACに批判的な発言をしたためにTV・映画からもしめだされている。
 50年代に殆ど毎週、父に映画館に連れて行かれた。60年代も随分映画館にいった。そのころ見た映画が大なり小なりこの「レッド・パージ」に関係があることを認識してあらためて思い出すと、また違ったものが出てくる。

 その頃役者を志す人間にとっては、スタニスラフスキー・システムという演技理論は絶対であり、アメリカでそれを実践に移して活動している、リー・ストラスバーグやエリア・カザンを中心としたアクターズ・スタジオは憧れの的でもあった。ブラックリスターであった脚本家たちの名誉が復活した後で、密告者として名高いエリヤ・カザンにアカデミー特別賞が与えられた。会場は拍手と失笑が半々だった。

 著者の「注」について:章ごとに数多くの「注」がある。これだけ読んでも価値のあるという素晴らしい力作といえる。が、「注」だけでは読めない。本文と照らし合わせなければ一体誰についての「注」なのかわからないのだ。また、本文を読みながら「注」に出会ったからといっていちいち参照しながら読むことはしない。実際「注」はこのようになっている。
 *66 監督。ハリウッドテンの一人。メッセンジャーボーイからスタートし、編集者を経て監督に。低予算の反日プロバガンダ映画で評価され、やがて製作者E. スコットとのコンビで.....後略
とこんな具合。「注」66は誰かといえば、87頁5行目、エドワード・ドミトリクでなかなか見つからない。非常に不親切な「注」で、もったいない作り方と思う。全部で20章あり行数が増え、ページ立てが何ページか増えたにしてもそうして見るべきであった。

2004年9月出版のサラ・パレッキー「ブラック・リスト」はこの赤狩りの旋風に巻き込まれ、翻弄された人々の癒えることなき傷を描いてある。また彼女は9.11以後の社会を憂えている。そのわずか一ヶ月半ののちに成立した「愛国者法」に危惧を抱いている。今のアメリカは、かっての「赤狩り」時代のアメリカに戻りつつある...そんな危機感から、この作品が誕生したのであろう。...訳者山本弥生氏のあとがきから...
 

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