2006-10-25

「哺乳類天国ー恐竜絶滅以後、進化の主役たち」   デイヴィッド R. ウォーレス 早川書房

「哺乳類天国ー恐竜絶滅以後、進化の主役たち」 
ディヴィッド R. ウォレス  2006年7月初版 早川書房 2,500円

  著者の言うには、「この本はイェール大学 ピーポディ自然史博物館にある風景画“哺乳類の時代”を紙の上に甦らせるものである。数多くの本が恐竜のためにしてきた事を、私は先史時代の哺乳類のために試みる積りだ。」
 画家はルドルフ・ザリンガー。博物館専属の画家である。進化の「システィナ礼拝堂」だという。この18メートルの絵の中にザリンガーは「自然史博物館では、古生物の復元図は一種の動物の1頭から数頭の集団を描くことで、地質学上の時間と場所を厳密に表すのが従来の習慣だったが、私はまったく異なる手法を用いた。壁全体を使って“時間のパノラマ”を再現し....地球生命の進化の歴史を象徴的に表現したのだ。」ラクダは巻物を紐解く様にプエブロテリウム→プロカルメス→カメロプス、またサイはサブヒラコドン→ディケラテリウム→テレオケラスと進化の道筋を示して登場する。ウマやゾウ達がいびつなサボテンのような系統樹を創りながら今に至っている。

 なんとも、これだけで胸がわくわくする、次のページを捲るのが待ち遠しくなる。哺乳類が中生代に「発達停止」したかに見えた理由も、その後、巨大な爬虫類が姿を消したあと、シンデレラ顔負けの変身を遂げた理由もいまだ謎のままだと言う。

 最初期の哺乳類モルガヌドン(三畳紀後期)はわずか数センチで、現在もたくましく生きているトガリネズミぐらいの大きさだという。日本のトガリネズミは大雪山にしか生息していないと思われていたが、近年本州(関東)でも発見された。「夜行性の微小ともいえる動物は生き延びるために制約は多々あったが、進化は止まらなかった。小さいままで遺伝子の多様化の道を選んだのだ。数を増やして広い範囲に進出し、それぞれその地の環境に適応しつつ、分岐点をふやしていった。」

 たとえば歯。哺乳類だけが永久歯を持つ。そして用途に応じた進化を遂げた。噛み切る・噛み砕く・突き刺す・擂り潰すという複雑な機能を持つ。爬虫類の「多生歯性」は、歯のある他の背椎動物の特徴だが、機能の分化の度合いが低く単機能である。これは、食いちぎったものを一度も噛まずに丸呑みするワニを思い起こせば直ぐ理解できる。爬虫類の下顎は複数の骨から成り、それに比べて哺乳類は単に歯骨が単関節で頭骨に結合しているだけで、構造の単純さが、歯種を分化させた。さらに槌骨と砧骨は下顎から中耳に移動することで聴覚は鋭敏になり、鼻の部分が大きく複雑になって嗅覚、ひげが生えることで触覚を発達させた。夜間にも活動できるようになり、特徴的な顎と歯のおかげで、恐竜が見向きもしなかった様々な食物を得、小さいままでニッチを広げて行った。
 2001年5月25日の新聞は、雲南省で一億五千万年前の新種の動物の頭骨(12ミリ)が発見されたと報道した。爬虫類から哺乳類に進化する途中の「哺乳類の祖先」で、推定体重2g,体長3cm。恐竜の栄えたジュラ紀前期、学名を「ハドロゴデイゥム」という。この本の中ではもっと詳しく書いてある。「名前の意味は“重い頭、または中身の詰まった頭”といい脳や顎・内耳はこれまでわかっていたよりもずっと発達していた。大きさやその他の特徴は4,500万年後の動物によく見られるものだった。ということは、哺乳類の発達はこれまで考えられていたほど恐竜の支配に阻まれていたわけではなかったのだ。」

 彼らには「何より適応性があったからである。適応能力のおかげで、巨大爬虫類の息の根を止めた環境変化の危機を乗りきれたのだ。そして、巨大爬虫類が絶滅すると、哺乳類はその適応能力の高さで急速に増加し、それまで爬虫類との競争のせいで手に入らなかった新しい生態を選び取った。」

 各章で著者は描かれた主役や名脇役について述べる。ピーポディ自然史博物館を中心にして回る究極の哺乳類たちの戦いにも触れる。それぞれが聖杯を求めてアメリカ西部やパタゴニア・モンゴル、エジプトへと発掘にでかける。その間にも殴り合い、引っかきあい、袈裟懸け、足払い、闇討ちと何でもござれのようだが、ダーウィンの始めた進化論は激しい議論の中でそれ自体進化していったのだ。

 20世紀の初頭まで、地球の年齢は一億年というのが科学的な事実であったし、生物は絶滅せずに変化するだけだというのもまた生物学的常識だったとは、驚くべき事実である。1920年代になってやっと五億年になった。そしてこの頃から古生物学はフィールドで発掘した化石の研究ではなく、研究室の中で遺伝から進化理論を、遺伝学に基づいて理論を構築するのに必要な統計的分析が主となっていく。クリック・ワトソンの二重螺旋構造の解明、ドーキンスの画期的な遺伝子論、ミームとしての生命。脚光を浴びている理論生物学者の傍ら、発掘は続き幻の聖杯がすぐそこにあるような新しい報告がなされている。

 科学と解析技術の進歩は進化論に大きく揺さぶりをかけた。1915年、ウェゲナーの「大陸移動説」が発表された。最初はたいして注目されなかった。「土地の隆起と沈降に伴って海岸線が変動したり、時には内海が大きく広がることはあっても、大陸は少なくとも中生代以降は、およそ現在の位置にあった。」というのがそれまでの学者の統一した見解だったという。第二次大戦後、調査船チャレンジャー号による計測などから「プレートテクトニクス」理論が登場した。古地磁気の研究解明も進み、生物が陸続きに住処を広げて適応・進化したという考え方、根底から怪しくなってきたのだ。
 従来の分類法は祖先と思しき生物の系譜をたどることで成り立っていた。科学史家のJ.シコードの反論は「それまでの分類学者は構造の並行進化、すなはち器官の類似性を自然界の秩序の基準にしてきた。この考え方が誤りで、類似性を基準にして似ている種を一グループにまとめるのではなく、遺伝系統による分類法が必要だったのだ。」
 系統分類学は1950年代に分岐学と名を改め、推定される祖先ではなく、共通する「派生形質」の数で化石種を結びつけ、「分岐図」によって進化を図式化する方法で、生物の時間的位置は示さない方向に進んでいく(1960年代)。1980年代には、化石生物と現生生物の進化を図式化するのに化石の定量的分析という流れの延長上にあるコンピューター・モデリングで作業し、地質データと摺り合わせることが可能になった。同時に顕微鏡の性能も格段に向上し、いままで出来なかった植物化石や花粉分析が可能となっていた。
 物理学者アルヴァレス親子の「イリジウム濃度」の研究から、新しい説が登場した。「小惑星衝突説」。数十億年かけてこつこつと適応してきた地球の生物を気まぐれな彗星がうっかりと全滅させてしまったというなんとも情けない話である。
 現在ではこのイリジウム層「K/T境界」の上と下との生物相の差異は明白と証明されているが、まだ激しい議論が続いている。新旧のダーウィニズムが落ち着く1930年代以来、主流であった「漸進説」に対して、エルドリッチとグールドの「断続平衡説」が華々しく登場した。

 絶滅の解釈の違いがそれぞれの進化論を形ずくっているが、多くの科学者の分析は地球外物体との衝突が6,500万年前一度だけではなく、地球の軌道が小惑星帯やその他の天体群を通過する度に大量絶滅が定期的に(2,600万年毎)巡ってきているという結果も出ている。ダーウィニズムにしろ何にしろ、これまで説明されてきた進化の物語は人類の出現を持って幕を閉じている。そのため往々にして、生命の進化はその役割を終了したように錯覚させられる。未来を語る進化論はない、とおもっていたら、人間の想像力の素晴らしさは あの時絶滅しなかった“新恐竜ー進化した恐竜たちの世界”やこのまま未来に進み“二億年後の世界”などが極彩色の挿絵入りで出版された!

S.J.グールドの言葉が締めくくるのに適当と思う。
「人間が進化したのはもっぱら白亜紀の大絶滅のおかげであり、この絶滅が行手の障害を一掃し、なおかつ 我々の祖先の命を救ってその道を進めるようにしたのだ。」
「人間は運がよかったのでここにいるのだ。」
「生がもっとも発達したように見えるときは、絶滅間近なのかもしれない。たとえばウマは賢いとはいえ  ない葉食性の小型動物から賢い草食性の大型動物に発達したようにみえるが、それは生き残った属が一つ だけだったからである。進化の頂点」としては、数百もの種がある現生のコウモリや齧歯類とは対照的  だ。」
「進化の典型的な“傾向”の多くはこうした不運なグループの物語である。細い小枝だけ残して剪定されて しまった木のようなもので、それが絶頂期だと謝って理解されているが、じつはかっての力強さを失った 枝がやっと残っているだけなのだ。」

 最後の三分の一は主としてダーウィンに始まる進化論の変異について語っている。それまでの発掘された化石の分類とか系統とかの話は出てこない。訝しく思われるかもいれないが、至極当然なのである。ザリンガーの言葉を思い出してみよう。「...生物の生態を描くことで時間のパノラマを再現しようとした...」

 中世からヨーロッパの知識人たる者ならラテン語の知識は必須であり、学名のラテン語の意味も我々がカタカナで読むチンプンカンプンとは異なり理解していたのだ。ラテン語をそのまま訳せば、爬虫類の王、犬の顎、猛々しく凶暴なものとなるのは、それぞれバシロザウルス・キノグナトラス・オニシエナのこと。(嵐泥棒:ザラングダレステスという詩的な名前を貰ったウサギ状の生き物もいる...)漢字文化圏の学者の不利な点である。恐竜の学名も意味が分かったらどんなにか面白かろう。

 登場する動物にあわせてザリンガーの絵の部分がモノクロで一ページずつ紹介されている。表紙はマストドンと巨大な角を持つバイソン、立ち上がったグリズリーのようなメガテリウム。見開きで全部を何頁かにわけても見せて欲しかった。細部はともかく、全体のつながりが見たかった。

 この風景画を観た事で古生物学者になろうとした子供(著者)がいたのだ。
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大陸移動の説明として、分かり易く書いている。ぜひ紹介したい。科学記事もこんな風になる見本だ。
「...初期の単弓類が栄えた三畳紀前期には、大陸はパンゲアという一つの巨大な陸塊を形成していたらしい。やがてパンゲア大陸は、新しくできた拡大中心に引き裂かれて北半球のローラシアと南半球のゴンドワナの二大陸に分裂し、さらにごたごたと小さな陸塊に分かれ、それ以降は手のかかる子供のようにあちこち動き回っている。ゴンドワナ大陸の分裂は波乱に富んでいた。南極大陸はアフリカと南アメリカを手放して極寒の南極で孤立を守り、オーストラリアとインドはアジア方面に逃げていき、その間にニュージーランド、ニューギニア、マダガスカルといった浮浪児が押し入った。ローラシア大陸はそれよりすっきりと分裂した。ユーラシア大陸と北アメリカ大陸は大西洋中央の亀裂を境におおむね穏便に縁を切り、生まれた浮浪児の数はすくなかったのである。」

2 comments:

Jun.ko said...

 この種の本を読んでいて何時も感じるのだが、一般人への啓蒙書という分野が日本では貧弱だということ。一流の研究者が素人の知りたがり屋の欲求を満足させるような本を書く、そんな研究者は本当に少ない。キリンの首は何故長いとか、オスは・メスはとか 大衆受けを狙った売らんかなの(程度の低い)雑学本だけだ。そういうのも必要かもしれない。だが最初の一冊が格調高い上等な文章であったら、そういう本に巡り合った人は幸せ者である。程度を落とさず、難しいことを難しいままでやさしい言葉を使って説明するのは、非常に難しいと思う。
 翻訳されたものもいいが、日本の学者の書いたまともなのも読んでみたいのである。

wavy said...

内装が変わりましたね。これもステキです。

自然史博物館の風景画を見てみたくなりそうです。最後の大陸の移動のところに、興味を魅かれました。長い年月をかけて、ゆっくりと移動していったんでしょうね。