2007-01-09

「ブラック・アトランティック~近代性と二重意識」  ポール・ギルロイ 2006.9. 月曜社 3,200円

 一言でいえば、非常に読みにくい。物理的にだが...
536頁で、厚さ4.5cm高さ19cm幅13cm。杉浦日向子さんがいみじくも名づけたように「弁当箱」なのだ。紙質が悪い。まるで薄手の画用紙のようだ。手にとって読むにも、机の上に広げて読むにも勝手が悪い。500頁ならせいぜい3cmになる筈だろう。

 巻末に「訳者解説」がかなりな分量占めているが、そこでも原著の読みにくさ・理解の難しさを書いている。その通りで非常に読みにくい。日本語に訳された漢字のルビにカタカナ語が使われている。それも半ば日本語化したカタカナ語ではなく、原著で使用された言葉そのままの読みをカタカナで表記している。例を挙げる。黒人文学:ブラック・リテラチュア、霊歌:スピリチュア、混血:ムラー、導き手:リーダー、人間主義:ヒューマニズム、黒人性:ラックネス.....こういう処理の仕方が一頁の中に2,3個から15,6個はある。(以下イタリック部分はルビを表す)
 確かに著者の言い表す言葉の意味と翻訳された日本語とでは感触が違うだろう。だからといって安易に原語の読みをルビにするのはどうかと思う。むしろ ブラック・イングリッシュ:イングランド黒人、ブラック・ブリテッシュ:英国黒人、アジェンダ:議案 ではなかろうか...

 一つの文章がかなり長い。3行以上もあり、主語がどこから来るのか分からなくなるほどだ。原文が長いからといって訳文も忠実に長いままで示す必要があるのか。訳者の力量不足ではないか。ルビの問題といい、この冗舌さといい、日本語の文章まで原書と同じに読みにくく理解し難くしなくてもよかろうほどに。

 もう一つの難点は、著者の挙げている人名だ。人名を具体的に挙げ、その論点を解析しているのだが、文脈からすると黒人:ブラック・ピープル らしい。我々から見ると普通の西洋人(欧米人)の名前なのだ。それらの人々‐知識人・研究者‐の主張するところは、膚の色とあいまって重要になっているのだが、それが分からない。殆どが始めて目にする名前だし、日本に紹介されてもいない。翻訳され出版されたとしても極く一部の研究者が知っている程度だろう。ブラック・ピープルの主張はそれ自体の内容と共に「人種」がまた別の主張をしているらしい。ここに最初の高い越えがたいハードルがある。
 この場合のブラック・ピープルとはアフリカに住む人びとではなく、言うまでも無く、西洋に移り住んで教育を受けた人びとのことだ。著者自身、父は英国人で、母はガイヤナからの移民だそうな。そういう背景をもった著者が、アフリカン・アメリカンに主導され独占された形の「黒人問題」を大西洋の両側の問題として捉え、元の宗主国と植民地という関係から来る複雑性に焦点を当てている。確かに、現在イギリス・フランス・オランダ・ゲルギー・ドイツなどでの人種問題が度々報道されているが、著者の述べるようなブラック・ピープルの二重意識として捉えたことはなかった。

 目次には 一章:近代性の対抗文化としてのブラック・アトランテック
       二章:主人、女主人、奴隷、そして近代のアンチノミー
       三章:「奴隷の時代からのたからもの」
          ブラック・ミュージックと真性性の政治学
       四章:「疲れた旅人を励まそう」 W.E.B.デュボイス、ドイツ、
          そして(非)位置取り/(転)地の政治学
       五章:「お慰みの涙なしに」 リチャード・ライト、フランス、
          そしてコミュニティの両義性アンビヴァレンス 
       六章:「伝えられるような話ではなかった」
          生きた記憶と奴隷の崇高

 第一章から:西洋の黒人、特に英国のブラック・イングリッシュとして「ヨーロッパ人植民地の反省的な文化と意識、そして、植民者たちに奴隷化されたアフリカ人たちや、虐殺された“インディアンたち”、そして売買されたアジア人たちの反省的な文化と意識がその蛮行のもっともひどい状況にあっても互いに付け入る隙もなく閉じているわけではない、ということの湾曲な表現とさして代わらないように見えるとすれば、たしかにそうであるかもしれない。.....」

「.....この歴史的連結関係とは、感覚し、生産し、コミュニケートしあい、記憶する構造のなかで離散した黒人たちが創出し、しかし、もはや黒人たちだけが占有しているわけではない立体音響的ステレオフォニク で二重言語的バイリンガル で二重の焦点をもった文化の形式のことである。この構造のことを、私はさらなる発見のためにブラック・アトランティック(黒い大西洋)世界と呼んだのだ。」

「黒人を行為主体エージェント として、つまり知的な能力をそなえ、ひとつの知の歴史すらもっている‐近代の人種主義によって、黒人には否定されている諸属性であるが‐人々として認めようとする苦闘にこそ、わたしがこの本を書く第一の理由がある。」

「人種の格付け+分類は、黒人の非人間ないし非市民としてそこから排除されているナショナルなアイデンティティをめぐる人種排外的な考え方に由来し、またこの」考え方を称賛している。」

 なかなか一筋縄ではいかない文章だとわかっていただけただろうか。

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