2006-09-24

「田中 清玄 自伝」  インタビュー 大須賀瑞夫    1993年 文芸春秋 1,900円

 1906年生まれのこの人物の経歴を見て、面白く無い筈は無い。途中まで読み進んで、なんでこんなに面白くないのかと不思議に思えてきた。「人」が見えてこない。

 戦前の非合法時代に旧制弘前高校時代に革命運動に走り、東大に入学後は共産党の党員で24歳で書記長まで勤める。1941年4月29日に11年10ヶ月の刑期を終えて出獄したが、獄中で転向、他に比較できないほどの天皇主義者となり「戦後、人類の平和と安定を願い、アジア・アラブ・ヨーロッパ各国で行動してきた」と語っている。右翼よりも右翼らしい彼が60年安保では左翼の全学連に巨額の資金を提供している。吉田茂に始まる政治家達、松永・土光らの財界人、禅僧 山本玄峰、京都学派の今西錦司、山口組の田岡など単なる名刺交換的な付き合いではない濃密な付き合いをしたという。そんな人間が85歳になって長時間のインタビューを受けて語ったものが面白くない筈はない。

 会津藩筆頭家老を先祖に持ち、黒田清輝に取り立てられた曽祖父は函館近郊の開拓使庁の畑などを作っていたと言う。裕福な家庭に育ったそうだ。1941年恩赦で出獄した後、禅寺龍沢寺の山本師のもとで修行、45年には建設会社“後の三幸建設”を設立。日本側の戦後処理に陰でかかわり「政界の黒幕」と呼ばれているのはこの頃の活動を指している。中東の石油を日本に持ち込み「石油利権屋」とも呼ばれる。こういう経歴の持ち主が85歳になっての二年にも及ぶインタビューが面白く無い筈は無いのだが...

 私の中には、何も残らなかった。この本というかこの人物に興味を持ったのは、クラス会の打ち合わせで同席していたT氏から何かの拍子に「田中清玄」という妙な経歴“戦前は共産党の書記長で戦後は右翼、全学連に資金提供した”を聞かされたからだ。あぁ 思い出した、彼の父君が「三幸建設」に在職していたとかの話で、その会社を始めた男は...というのがきっかけであった。それだけの話である。

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