報道された事件:
2005年10月末、パリ郊外の町々で燃える車の映像。警官に追われたと思った移民出身の少年が変電所施設に逃げ込み、感電死した。溜まっていた不満が噴出し暴動の気配が地方都市にも波及した。
1981年7月、リヨン市、レ・マンゲット(移民集中地区の一つ)での「暑い夏」の暴動はマルセイユやアヴィニョンに飛び火。住民の51%が20歳以下、失業率は20%という地区。
ワールド・カップでのフランス・ナショナル・チームの大半が移民出身者であることへの不満。
移民とは:EU内部での移民国、フランス・オランダ・ドイツ・イギリスに共通した定義。EC内移民とEC外移民。EC外移民は「ヴィジブル・マイノリティ」と呼ばれる。
フランスでは、それまでは殆どがEC内移民であったが、1960年代からあらたな「移民社会」が形成され始めた。マグレブ系:アルジェリア・モロッコ・チュニジア、ブラック・アフリカ系:セネガル・マリ・コートジボアール・カメルーン、トルコ系:クルド人、アジア系:インドシナ三国。中国など。旧植民地などが「独立後、経済的国づくりに苦闘し、人口増に悩むこれらの国々は、移民受け入れを旧宗主国に求め、フランスはそれらの国に持っていた権益(資源採掘・軍事基地など)・友好関係の維持のためにこれを受け入れ」ざるを得なかった。
この「ヴィジブル・マイノリティ」について言えば、平均的失業率はEC内移民の二倍になり、「ヨーロッパの大都市圏には共通に、失業(雇用差別)、学業挫折、非行などによって、特徴づけられる街区が生まれ、その中に移民外国人の集住エリアが形成される。」この著書でわざわざ「フランスの...」と限った問題はどこにあるのか、まとめてみる。
フランスの単一文化主義:言うまでも無くフランスには「フランス人」と「外国人」しか住んでいない。フランスでは国勢調査などの公式統計に於いては、人々の民族的出自に関するデータ収集は禁止され、その他にも、国や地方公共団体は宗派別人口、言語別人口のデータなどの蒐集・保持はしないことになっている。たとえば、ある地区でのある特定の母語を使う人の割合とか、公務員の女性比率、性別人口などである。したがってマイノリティへの施策と、実行に際して必要なデータとの差が何時でも問題になるという。平等の名のもとでは差別は無いとするフランスでは次のような表現を使っているという。移民・外国人の多住地域→問題地区、言語等の具体的な文化的ハンディキャップ→社会的諸条件、不熟練または半熟練労働者・農民・その他の民衆層→恵まれない状況にある階級。このように、移民とか外国人という表現は使われることはない。
成人男子が出身国から家族を呼び寄せる。宗主国であった国の言葉を話すことは出来るが読み・書きの教育は受けていないか、母語は話せるが移民国であるフランス語は無理という家族たちも多く、家庭内での活字文化の存在も、教育を受ける意味もよく理解していないという。フランス人となったからには当然というモノリンガルでの教育現場。単一主義の弊害。児童生徒は学業挫折を起こし、移民層の厚い地区での教育水準は低下する。
低賃金労働者向きの集合住宅・団地が郊外に作られる、開かれたゲットーだ。働ける職場・学校・文化的施設もすくない。安定した職業につき、安定した賃金が得られた順に中心部に住まいを移す。その結果、この種の郊外団地にはヴィジブル・マイノリティ層のみが集まる。理由は簡単。彼らの失業率を考えて欲しい。EC内移民層の2~4倍の失業率なのだ。成績が幾らよくても、出身地がわかる名前や住所で就職できないという。
移民たちの第二・第三世代が生まれている。フランス生まれのフランス人だ。それでもヴィジュアル・マイノリティとして、社会的差別を受けている現実。フランス人としての「身分証明書」を持つ意味について、単なる通行証であり、日常生活を円滑にするための円滑油と言い切る。彼・彼女らは簡単に職務質問の対象になり、身分証がなければ面倒なことになる。「定冠詞の付いたカミッキレを持つ、書類上のフランス人」だという。「自分をフランス人だと自己紹介しても無意味」と感じる若者が多数いるという現実。この図式はフランスだけではなく、どの国でも マイノリティと呼ばれる人々に共通するおなじみの現象である。
「大雑把に約550万人ほどが移民とその子ども達であると推定したい。これを広義の“移民”と捕らえる視点に立つと、フランス人の人口の約10%を占めることになる。まさに移民人口の“フランス人化”が進んでいるのだ。ということは、法的には、その内部で権利上区別のない“スランス国民”でありながら、出自、身体的特徴、母語、宗教、文化慣習などで相対的な独自性をもち、外部からは差異的カテゴリー化(差別)を受け易い個人が相当な割合で含まれているということである。」(2004年半ばの統計)
フランス国民は同一・同質の教育を無償で受けられることになっている。が、フランス人になる為の教育という制度は公にはないのだ。出身地の文化に拘って暮らすことは許容されない。高等統合審議会の言葉によれば「“多文化”や“相違”を警戒し、移民は選択した国民共同体の価値に無関心であってはならない」のだ。これが、他の移民国(イギリス・ドイツ・オランダ)と異なる点である。
「アングロ=サクソン世界における移民の社会学では“アイデンティティ”については、たいてい、移民は出身社会との精神的・文化的繋がりを断っては生きていけないもので、ホスト社会の価値への同一化は複雑な斬新的なプロセスでしかないことが強調されている。それに較べて、フランスの議論は、アイデンティティについて語るのを暗に避けるか、出身社会との文化的繋がりを当然視するような見方にくみせず、むしろそれに対して、警戒的でさえある。」
「イギリス社会では、たとえばパキスタン系ムスリムの児童生徒の多い学校では、親の求めに応じウルドゥー語の教育が行われる。また、放課後にイマーム(宗教指導者)が学校を訪れ、希望者にコーランを教えることもありえないことではない。しかし、スランスでは、たとえばマグレブ系の児童生徒の多い学校でも選択にせよアラビア語の授業が設けられる可能性は殆どない。...母語教育は学校のカリキュラムの埒外である。」第二世代まで含めると1,000万人弱の移民層をかかえたフランスでは、この単一主義を疑問視する声がきかれるようになっている。
フランス大革命は「自由・平等・友愛」を掲げており、公的生活領域を除いて、全ての成員の信仰が保証されることだ。非宗教性の枠組みの中では、精神的志向に関するあらゆる政治的介入は違法であり、国家はいかなる拘束も課さず、信条の強制も無ければ、信条の禁止もない。人々(市民)は信仰の如何にかかわりなく市民として平等に扱われる。当時、信仰といえば、カトリック・プロテスタント・ユダヤ教であった。
政治・司法・教育の場で、かたくななまでに固持している非宗教性は、元はと言えば、大革命時にカトリックの修道院からの束縛を排除するためであった。ムスリム圏からの移民が増えている現在、この宗教性はあらゆる宗教を含むことになる。信仰と生活とが密着しているムスリムにとり、日に五回の礼拝や女子のスカーフ着用はたんなる宗教上の行為ではないのだ。
「スカーフ」は、また別の象徴にもなってきた。ムスリム社会の家長絶対主義のなかで個人の意思を剥奪され、抑圧されている女性の象徴として。
ル・モンド紙から:「ピエール神父が未明の午前5時25分、亡くなった。」というフランス通信の速報が流れたのは(2007年1月)22日午前6時38分だった。
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ここにまた別の形の差別がある。本当に別の形なのか。差別にはそんなに色々な形があるのだろうか。自分達の属している文化が一番であるという思い込み、異質であることが劣っている、野蛮と呼ぶに値すると思う傲慢な文化がある。共生ではなく排除・無視する優越感。「ヴィジブル・マイノリティ」これが共通項であると思う。
日本ではどうなのか。フランスほどの単一文化主義ではないが、同じようなものではないのか。中国からの残留孤児の方々にたいする「日本語教育」「日本での社会教育」の不備はどうしようもない。4ヶ月で放り出される。中国での職業上の知識も技術もすべてがゼロ。年金の計算も帰国してからの年月で計算されている。もし日本で暮らしていたなら当然20歳ごろから加入していたであろうに。こういうところはきちんと律儀に平等な扱いなのが可笑しい。
国籍をとる際に、問題なのは「名前」の表記で、日本人的な名前でなければならない。ハードルは高い。滞在資格の無い外国人は、修業中の児童生徒であろうとも国外退去の対象となる。亡命は許可していないし、難民の査定は厳しく世界中から不審の目でみられている。弱者には住み難い国である。
2007-02-08
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